二胡を弾いている理由は何だろう?
と、新年早々、また、考えておりました。
目標が明確でなければ、今進む道も、わからなかったり、見失ったりしてしまうんですよね。たぶん。
そんなことで、いつも悩んでいるわけですが、
テレビを見ていて、岩手の高校に「ゆず」がやってくる、という番組をしていました。
そこで、生徒達が、心が癒されることは?というアンケートに、
「友人との関わり」が多かったそうですが、
「音楽を聴いて」という事も多かったそうです。
音楽とは心のキズの薬にもなるし、栄養にもなるのか~、と思ったのでありました。
僕は、二胡を弾いていて、その時に湧いてくる感情に、自分でジーンときたりすることがあります。
演奏に満足して、自分に満足して、そして、心が落ち着いた状態になるような演奏を、自分ひとりの時に、弾けたらなぁと、それが僕の終点の目標だと思っています。
でも、それを聴いているのは僕一人だけであり、僕の演奏に満足できるのは僕だけであって、他の人は、そこまで、心が震えるような感覚を持ってくれないかなと思っていました。
でも、その東北の高校の話を聞いて、音楽の力の可能性を感じた気がしました。
自分の内なる満足だけでなく、もしかしたら、外の世界の心にも、落ち着きと安らぎの空間を作ることができるかもしれない。
なんとなく、今、二胡でそれをしているのかもしれないけれど、確固たる自信もない。
だけど、二胡を弾く、勉強する、精進する、そういう理由を、考えた時に、
そんなことも、臆病にならずに感じても良いのではないか、とも思ったりしました。
内向きで満足するのか、外側の世界も感じるべきなのか。
はたして、どちらが良いのでしょうねぇ(><)
☆ところで、今日、近鉄奈良駅周辺にて、東日本大震災と台風12号被災の義捐金の為の托鉢を行ってきました。
忘れちゃいけない!と、青年僧達は今でも、月に2日街頭に立って、支援を訴えているわけであります。
街の人も、よく、足を止めて、支援してくださります。
子供から大人まで、みんな、ちょっと恥ずかしいと思いながらもあるでしょうが、忙しいとおもったりしているでしょうが、それでも足を止めてくださいます。
その心が本当にありがたいなぁと、菩薩の心を見ている気がして、手を合わしているわけであります。
皆ありがたい世界だなぁと、托鉢して勉強させていただいた一日でありました。
明日も近鉄奈良駅にて青年僧が頑張っておりますので、被災者への支援、よろしくお願いします。
僕は・・・仕事で参加しておりませんが(++)
というわけで、徒然なるブログでありました。