お彼岸もすぎて少し落ち着いてきたので、
ブログ更新できます。
東北の報告をしておきます。
東北では前回からご縁いただいている奥松島・寒風沢という離島の仮設住宅と
石巻の西光寺さまにお伺いさせていただきました。
寒風沢では、復興の風も吹き始めて、
昨年11月に訪れた時には、港の改修が1割も満たないほど進んでなかったのですが、
今年9月には6割ぐらいの進行状況に変わっていました。
生活に必須の港の修復は進んでますが、裏の浜の補修や、
地盤沈下による満潮時の水没地域の対策などは進んでおらず、
まだまだ時間がかかるように感じました。
島の人に伺うと、
「東京のオリンピックに人、モノ、カネが動いていて、そのあおりで、
東北になかなか集まらなくなって」と嘆いておられました。
復興の一端を担うかなと思っていたオリンピックは、
逆に東北を苦しめているのだと実感させられました。
難しい問題です。
しかし、進んでいる部分もあって、
仮設住宅におられる皆さんも、この一年で戸建ての支援住宅?に移り住むようです。
僕が寒風沢の仮設住宅にて演奏させていただくのも、
今年が最後になるかもしれません。
今年の訪問も演奏してお話して、皆さんの笑顔も見れて、懐かしくて、
良い時間を一緒に過ごせたなぁとおもいました。
寒風沢の皆様ありがとう!
島の皆さんも大変な思いをされてきましたが、なんとか頑張っておられるようです。
寒風沢にも高齢化が進んでいるみたいですが、
島の唯一のお子さんが小学校6年生。
学校に毎日連絡船で通っておられますが、
いつもその日の最終便の船で島に帰ってきます。
僕は最終便で本島に帰るので、今回も連絡船の乗り降りの時間にお話させていただきました。
小学6年生のその子は、島を守る!という気持ちを強く持っていて、
話し方もキリッとしていてとても賢い子供でした。
希望の光を体いっぱい発していて、その子の将来、そして寒風沢の将来も、
明るいものになるように感じました。
子供の力は大きいですね。
お話させていただいて、
「TV見ました!CDもいつも聞いてます!」と仰っていただきました。
感動で涙が出そうになりました。
自分で活動していることが、果たして何の力になっているのか・・・
いつも疑問に思い、悩むことも多かったので、
少しでも、誰かの力になっていると感じることができたとき、
こんなに嬉しく思うのだな、ありがたく思うのだなと感じました。
「復興の何か役に立つことが出来れば」というのが支援に向かう人の気持ちだと思います。
でも、それが現地の人にとって迷惑になることも多々あります。
だから、それがとても怖くて、でも何かさせてもらえたら嬉しい。
神戸の震災で受けた恩を返すことができたらと思いながら活動しています。
・・・一年に一度の訪問で偉そうなことは言えませんね。
さて、そのような訳で、寒風沢では小学生に心励まされた私でした。
寒風沢の皆様ありがとうございました!!
訪問二日目は予定が無かったので浄土宗の数珠を発明した阿波の介のお墓に参らせていただきました。
三日目は石巻の震災遺族の会に参加させていただきました。
遺族の会に参加するのは2年ぶりです。
昨年は予定が合わなくて、皆様とお会いすることが出来なかったのです。
今回は参加させていただいて、演奏もさせていただきましたが・・・
詳細は書くのはやめておきます。
やはり、遺族の方の心は物理的な復興とは違い、複雑で深刻なものです。
被災者の気持ちを少しは、少しだけは分かるような気がすると思っていましたが、
しっかり考えていないと傷つけることになることになりますよね。
去年まで感じなかった物理的な復興の風を感じて、少し浮かれていました。
無意識のうちに傷つけてしまった言葉、表現をしてしまった気がしました。
ダメですね、自分って。
ともかく、表面的に見える復興の部分と、まだまだ変わらない部分とがある、
ということを強く実感した訪問でした。
でも、コンサートやCD販売で集めた義援金はお渡しすることができました。
喜んでいただけました。
石巻は何も無くなっているので、お参りできる所を作ろうか、
そんな案がでているそうです。その一部になるかもしれませんね。
いくつかのチャリティーコンサート、CDをまとめて
「東日本大震災追悼コンサート皆様」として拝受書をうけとってきましたので、
それをアップしておきます。
皆様のお力添え、本当にありがとうございました。
僕の力が至らぬ分を、皆様の心に助けられた気がします。
これからも活動は続けていきます。
恩返しができたな、と思えるまで。
また、皆様のお力添えもいただくことになると思いますが、
何卒よろしくお願いします。
東北の訪問の報告でした。